無事にトレッキングを終えて帰って来ました。
カラパタールの感想・・・・・・「もう二度と行きたくない!」 です(笑) だって、とっても辛かったのさ。。。。 高山病は幸いにも一切でませんでしたが、空気が薄いと、熟睡できないし、思考回路も落ちる。 そして何よりすごく寒かったのが辛かった。 10日間以上もお風呂に入らないのも、初めての経験だった。 全てが、一生の思い出に残るすばらしい日々でした。 11/6 カトマンズ→ルクラ(2804M)→Nurninghat(2492M) 11/7 Nurinighat(2492M)→ナムチェバザール(3440M) 11/8、9 ナムチェバザールにて高度順応(9日はガイドが来なかったので仕方なく停泊) 11/10 ナムチェバザール(3440M) → タンボチェ(3867M) 11/11 タンボチェ(3867M) → ディンボチェ(4350M) 11/12 ディンボチェにて高度順応 11/13 ディンボチェ(4350M) → ロブチェ(4930M) 11/14 ロブチェ(4930M)→ カラパタール(5545M) → ロブチェ 11/15 ロブチェ(4930M) → ディボチェ(約3800M) 11/16 ディボチェ(3800M) → ナムチェバザール(2492M) 11/17 ナムチェバザール(2492M) → ルクラ(2804M) 11/18 ルクラ → カトマンズ 今回のトレッキングは、本当に本当に濃い濃い日々だった。 カトマンヅからルクラ行きのフライトが天候不良で2日間も飛ばなかったことから始まり、 最後は途中で出会って、一緒に登っていた仲間が高山病になり、意識はほぼなし、歩けない状態の仲間を高度4930メートルから3800メートルほどの地点まで、10時間かけてみんなで支えておりたり。 もう本当に、10年分の喜怒哀楽が詰まった13日間だった。 「良いガイドを紹介する」からと、一緒にナムチェまで行ったおじさんが、結局ガイドを紹介してくれなくて、結果的には、おじさんのペースに巻き込まれて、スケジュールを大幅に乱される結果となった。カトマンズ空港から一緒になり、私と同じくおじさんにガイドを紹介してもらうはずだったKちゃんは大激怒し、私にもその怒りは飛び火し、絶交宣言をされた。その上、翌日私が自分で探したガイドはこなくて、絶交宣言されるは、おじさんは無責任に姿を消すは、ガイドは来ないはで、自分が情けないやら、悔しいやらで泣きながらナムチェの町に飛び出て、一人でガイドを探した。その数日間は言葉では言い表せない、いろんな事がありすぎて、丘に登って一日中涙にくれました。 トレッキングはそんなこんなして、涙で始まりました。 翌日、ガイドがちゃんと来たのでナムチェを出発。 道中でその後ずっと一緒に歩く事になる仲間達と出会う。 みんな日本人で、一人で来ていて、そして若い。 カラパタールでのトレッキングには、最低でも3週間程の休みがないと来れないので、 きている日本人と言えば、その99%ほどが定年退職後の方々ばかり。しかもツアーで。 そんな中で、私達は偶然にも出会い、一緒に歩きはじめました。 32歳、新婚の鈴木さん。32歳、ロマンチストの佐藤さん。 40歳 山男のKさん。 そして途中まで一緒だった 36歳 多才でやり手の小嶺さん。 そして、ディンボチェからお世話になったツアー客を率いて来ていた某ツアーのガイド、Mさん。男ばかりの中に、私一人。 みんなで馬鹿な話をしながらのんびりと歩いた日々は、ナムチェで傷だらけになった私の心に元気をくれました。毎晩毎晩、みんなで楽しく夕食タイムとおしゃべりをできたことも、とても良い思い出です。 高度4350Mのディンボチェから4930Mのロブチェまで行く日、ただでさえ高所でのトレッキングは辛いのに、こともあろうか、私は食当たりになり、腹痛を抱えながら歩き、限界が来ると岩陰に走り込んで用を足す。。。そんな私を全員が心配してくれて、Kさんは常に私の後ろを歩いてくれて、先にロブチェに着いていたメンバーは迎えに来てくれた。 某ツアーのガイドMさんは、ツアー用のポカリスエットの粉末と、ウィダーインゼリーを沢山くれて、絶食するようにとアドバイスをくれた。 そして、私が雇ったガイドについて、みんなが怒っていた。 さすがの私も怒っていた。 なぜなら、体調の悪い私をおいて彼はさっさと歩いて行ってしまっていたから。 ガイドは通常、お客さんと一緒に歩き、サポートするのが普通である。 彼はガイドというよりも、ポーターと言う方が正しい仕事振りだったが、給料はかなり高いお金を払っていた。 そんなこんなで、4930Mの地で私はガイドをクビにする決意をした。 彼を外に呼び出し、クビを宣告。 残りの日数の給料を払えといちゃもんをつけてくるガイドに、私はぶちっと切れた。 日払いで契約している上に、自分がちゃんと仕事をしなかったのに、その態度はなんだ!!! お金の事ばかり言ってないで、少しは私の気持ちを考えろ! あなたはもう必要ないし、二度と会いたくない!!!ガイドの勉強してから出直せ! などと怒りで流暢になった英語で相手を追い詰めるも、むこうも引かない。 そこに某ツアーのガイドM氏が登場。 20分ほどもめただろうか、それでも彼を説得してくれた。 もう10年以上ネパールを案内していると言うM氏いわく、 「あんな最低のガイド見たことないよ。」との事・・・。 最初のおじさんの件と言い、最低ガイドの件と言い、「ババくじ引き女」と皆から言われる(笑) その後もババくじ女は至る所でババくじを引き、皆の爆笑ネタとなったのである。 翌日、朝4時にロブチェを出て、カラパタールへ行きました。 Mさん率いる某ツアーの後をくっついて行かせてもらった。 道がわからない私達の為に、Mさんのご好意でそうさせてもらった。 鈴木さんと佐藤さんと私の3人で、ひたすらあとを付いていく。 Kさんは、体調が悪いからと今日のトレッキングキャンセル。 寒い寒い。。。どれくらい寒かったかと言えば、腰から下げていた水筒の中身が凍ってしまったくらい。下痢もまだ残っていたので、ふらふらになりながら永遠と歩いた記憶しかない。 ゴラクシェプについたのが10時くらい。5000M超えしたゴラクシェプから、さらに400メートルほどの山、カラパタールの山頂を目ざすのですが、辛いいつらい。。 結局休み休み、2時間くらいかけて登る。 狭い狭い山頂は風が強いし、寒いし、空気薄いしで、生命の危機を感じる。。 でも、カラパタールの山頂から見るエベレストにはとても感動した。 これを目指してきたのか~・・・・っと、、薄い意識の中で、取りあえず写真だけはと、シャッターをようやく押す。 そうこうして、私のカラパタールを目指すトレッキングは、あとは一気に下るだけ、空気が濃くなる一方の比較的楽な工程が残っているだけ。。 。。。のはずだった。。。。 11/15、今日は下り初めの初日。一気に5000Mから3800Mほどの地に下るだけ。 といっても、登っては下り、登っては下りが続くので、肉体的にはきつい。。 朝6時、kさんが一人でカラパタールを目指すといって出発するのを、寝袋の中から見送る。 前日から体調が悪かった小松さんのカラパタール行きは、全員が心配していたが、個々で来ている私達には、彼を止める権利も説得力もなかった。 朝7時、「Kさん行ったね~、大丈夫かな?」なんて佐藤さんに聞くと、「Kさん、戻って着たよ。今日君達と一緒に下山するって」っと言う。詳細を聞くと、出発してから10分ほどで、転んで帰ってきたと言う。 Kさんを見ると、全身濡れで、ぶるぶる震えている。 暖かいお茶をあげても、飲む力もない。話もできない。 急いでツアーガイドMさんに報告。Mさんが駆けつけて、着替えをくれる。 それを鈴木さんが手伝って着替えさせてあげる。 そして、本来ならヘリコプターを要請するくらいに状態が悪いとMさんに言われた。 しかし、Kさんが保険に加入していないため、ヘリを呼べない・・・。 ヘリ代と入院費で50万円はかかる。その費用の負担を、本人が拒否しているので、 ヘリは呼べないと。本人が歩ける状態だと言うので、歩いて降りるしかないと。。。 そして朝8時から下山開始。 一人でカラパタールとベースキャンプを目指すと言う佐藤さんと、全員でロッジの前で記念写真をとって笑顔で別れる。 そしていざ、鈴木さん、Kさん、私の3人で下山開始。5Mほど歩いたところで、Kさんが転倒・・・。そして起き上がれない。「Kさん、歩けないの?」の鈴木さんが聞くと うん とうなずく。 私と鈴木さんは顔を見合わせて、唖然とした。 さっきまで、「大丈夫大丈夫」っとKさん本人が言っていたので、私達はそれを信じていたが、それは彼の強がりで、事態は想像以上に悪く危険な状態だったのだと察知。。。 鈴木さんは瞬時に、先に出発したMさんに報告に行って助けをもらいに行くと判断。高度5000M近くある地で、鈴木さんはMさんを探しに走り出した。 残されたは私は、とにかくKさんを支えて歩きながら、彼の状態を探った。 10M歩いては、とまって水を飲ませてあげる。自力では歩けないし、水を飲むこともできない、話もできない、かなり重症だった。水を飲ませてあげると、少し状態が軽くなることがわかった。1.5Lあった水はすぐになくなり、通りかかったトレッカーに声をかけては水をもらうことを繰りえした。途中、医者だと言う日本人女性に出会い、Kさんの血中酸素濃度をはかる。数値は46.。。。とても危険な状態だと言うことだった。 最低でも、70は無いといけない地で、46.。早急に診療所につれて行かないと危険だと言う。 ちなみに、その地での私の血中酸素濃度は85。かなり優秀な数字だそうです。 2KMほど行ったところで、Mさんのツアーのシェルパが手助けの為に来てくれた。 彼と一緒にKさんを支えながらさらに2KMほど行った所で、助けを呼びにいった鈴木さんが待っていて合流。そこからさらに1KMほど進んだとき、Mさんが、重たい酸素ボンベを抱えて、凄い勢いでこちらへ走って来た。行きに、私が数時間もかけて登った丘を、かれはホンの数十分でかけあがってきた。 そしてKさんの状態を見て唖然とし、「こんなに悪かったなんて。。。」っと愕然とした様子だった。 早速酸素吸引を開始。Kさんの意識が見る見る回復した。 酸素ボンベをつけながら、皆で支えながらKさんを4252Mにあるペリチェと言う診療所があるところまでおろした。しかし、、運悪く医師がシェルパ族のお祭りに参加しているため、その日は休診日であった。しかたない、この地にkさんを1泊させて明日の診療を待とうか、などと話をしているなかで、Kさんの異常に気づいた。 酸素はもう十分に足りていて、通常なら正常の状態であるはずの彼の言動がおかしい。。。 完全に脳がやられている状態だった。私達の質問に、とんでもない回答が帰ってくる。 「これはやばい」と判断したMさんが、私達とおなじディボチェまでKさんを下ろす決断をした。とにかく、少しでも酸素の多い所に下ろそうと。 それから何時間かかっただろうか。。3人でKさんを支えながら、ディボチェを目指した。 日が暮れて、ヘッドライトが必要になる6時ごろ、ようやくディボチェについた。 10時間、高山病患者を支えてみんなで歩いた。みんな凄く凄く疲れていた。 でもその後、私と鈴木さんは上り坂を30分歩いたところにあるタンボチェで行われている マニリンドゥと言う、シェルパのお祭りを見に行った。 だって、年に1回の貴重なお祭りを見れる機会を逃す手はなく、疲れきった体でさらに30分も山を登った。見れてほんとによかった!付き合ってくれた鈴木さんには本当に感謝感謝。 話は戻って。。。。。 当のKさんは、体はぴんぴんしていた。 でも、脳はおかしいままで、状況が全く把握できていない状態だった。 突然笑いだしたり、言葉が出てこなかったり、まだまだ油断できない状態だった。 この日、私達と降りていなかったら、彼は死んでいた可能性が高かったという。 大変だったのは、Mさんだった。 自分のツアー客を置いて、救助にあたってくれた。 案の錠、ツアー客からは非難の声が上がった。 無謀で無責任な若者なんて、ほっておけばよかったのだと言われた。 救助に使った酸素は、ツアー客のものであって、お金はどうするのだともいわれた。 人命救助をしたのに、頭を下げるMさん。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 私と鈴木さんも「助けなくても良かったのに」っと非難の声を浴びた。 確かに、Kさんは自己管理ができていなかった。保険も入っていなかった。 装備に関しても、日本の夏山の装備で、とてもこの地に対応したものではなかった。 おそらく、彼が山に対してもっていた間違った自信が、今回の事態を引き起こした。 高山病についての知識もなく、体調が悪いことをみんなに隠して登り続けた。 全て彼の責任である。 でも、、、目の前で苦しんでいる人間を助けて、何が間違っているのだろうか? なぜ救助者が非難されなければいけないのか? ツアーで来て、着替えからなにからなにまで、スタッフまかせ。自分の力では宿も取れない、トレッキングもできない、ご飯も食べれない、そんなツアー客に、そんこと言われたくない!!!60才だか70才だか知らないけど、あんた達は最低だよ!!っと言いたかった。ツアー参加者9人に対して、スタップ20名以上も使い、いたれりつくせり、おんぶにだっこ。それが当然だと勘違いしていて、シェルパ達にお礼のチップすら渡さない、召使扱い。 彼らみたいな人達が、今の日本を牛耳っているなんて、くやしくてたまらなかった。 お金で全て解決できると思ってて、思いやりの気持ちがまったくなかった。 何かが、おかしい。若者批判ばかりして、なにが楽しいのか。 そんな思いを抱きながら、さらに2日かけてルクラまでおりた。 Kさんはそこからさらに1週間歩いてジリを目指し、カトマンズへ戻るルートを行く。 私達は、飛行機でカトマンズにもどる。また個人個人の旅に戻る。 Kさんには、みんなが散々日本に帰ることを勧めた。 彼の脳は完全に低酸素の為に細胞が破壊されていた。 元に戻らない可能性だってある。。このまま旅を続けることは危険だとかれに言ったが、 彼は首を縦に振らなかった。 私達にできることはもう全部やった。。。後は彼が無事に日本に帰ってくれる日を願うしかない。。 そんなこんなで、私は今カトマンズにいます。 「いや~、今回の旅は濃かったね~!」なんて鈴木さんとMさんと話しているさなか、 昨日カトマンズではバンダと言われるストが起きた。。 朝、町へ出たら、石が飛んでいた。。商店が急いでシャッターを閉めていた。 バスの窓ガラスが全部割られていた。。。 タクシーもバスも動かない。 そんな中、リキシャと呼ばれる自転車タクシーに乗って鈴木さんは空港へ向かった。 Mさんも、ツアー客とリキシャで空港に向かったはず。 「最後の最後まで、今回の旅は濃いな~」なんて言いながら(笑) 私は、明日にはストが解除されることを願って、明日からチトワン国立公園へ行く予定です。 今回のカラパタールでの出来事は他にもいっぱいあって、あまりにも濃すぎて、楽しくて、そして皆との別れが辛くて、喜怒哀楽が凝縮されていて、これを超える経験はもう海外ではないんじゃないかな~。。なんて思っています。 早々と日本に帰ろうか、そんな事を考えたりする今日この頃。 いやぁぁぁ、、山って面白いですね。
by atsuko-sunaoni
| 2008-11-21 20:36
| ネパールでの出会い
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