カテゴリ:ミャンマーでの出会い( 21 )

ミャンマー記 人間だもの

翌日、朝8時にチャンミメデテーションセンターへ出向いた。

受け付けで昨日出会った日本人女性Y子さんを呼び出してもらった。

彼女はすぐにやって来て、もうしばらくしたら、通訳さんがやってくる。そして、その後にすぐに通訳さんを挟んでのセアドとの面接があるから、話しはその後ゆっくりしようと言うことになった。

しばらく待っていたら、通訳さんがやってきた。
歳は40代後半だろうか。黒くて長い髪の毛が綺麗にまとめてある。背は160センチくらいで小さい顔にメガネをしている。

そして、驚くほど流暢な日本語で私に挨拶をしてくれた。
日本語はほぼ完璧だった。

非常に知的で、人を安心させる包容力がある人だった。

聞けば、彼女はミャンマーでは上流階級の部類に入る富裕層の人だ。

元役人で、今は会社社長だ。
通訳は役人時代にやっていたのだが、会社を始めてからは忙しくなって辞めていたとのこと。

今回は色々事情があり、Yさんの通訳をする事になったと言う。

名前はミャンミャンタンさんと言った。

私達は10分ほど立ち話をして、それから彼女たちはセアドの部屋へと入って行った。


それから15分も経ったころ、彼女達は面接を終えて戻ってきた。


そこで、瞑想センターについて色々な話しをした。


話しは、森の中のセンターにするか、ヤンゴンのセンターで瞑想するか、と言う事に絞られた。


私は環境優先で森の中に行くと決めた。
そのはずだった。


そう決めて、ミャンミャンタンさんと一緒にセアドに話に行き、翌日から瞑想を始める事になった。

翌日の午前中はYさんがチャンミセアドに御布施として、昼食を作る事になっていた。

私はその手伝いをしてから、森のセンターへ行く事になった。


結局、マハシへは見学に行かず、Yさんとの出会いをきっかけに、チャンミで瞑想する事になった。


ちなみに、外国人の間で一番有名なのはマハシだ。
西原りえことカモちゃんもマハシに行ったみたいだ。
タイのゲストハウスにあったカモちゃんの本を読んで以来、カモちゃんと西原が好きになった私だ。

マハシとチャンミは日本語通訳がいるのが特徴。

もし次回ミャンマーに行くなら、次はマハシに行ってみたい。


翌日、朝早くに宿を出た。

路上屋台で麺を食べる。そうめんみたいな麺と、数種類のスパイス、揚げ物、油を素手で混ぜ混ぜしてくれる。アジアに慣れていないと絶対に食べれなさそうな一品だ。

これに魚でダシをとったスープがつく。

めんにはライムを絞って食べると美味い。

黙々と食べるミャンマー人と一緒に、黙々と食べる。

これからしばらくは、俗社会から断絶されるので、味を噛み締めて食べた。


チャンミに着いたら、早速料理の準備が始まった。

チャンミセアドには専用のキッチンと専属の料理人がいる。

そのキッチンで、料理人にアドバイスを受けながら作る。
その料理人の女性は、かん高い声と、茶目っ気たっぷりな面白い人だった。
私は勝手にキッチンレディーと呼ぶ事にした。

作ったメニューは天ぷら、太巻き、うどん、湯豆腐。

材料は前日に日本食品店に行って買い出しを済ませていた。

キッチンのなかは、てんやわんや。


ここでの食事は1日二回。朝は6時頃、昼は10時半頃からだ。12時以降は何も食べない。食欲、つまり欲が瞑想修行の邪魔になるからだ。

そんなわけで10時過ぎまでに作りあげなければならなかった。

そんなこんなでYさんの指示のもと、ギリギリに料理は完成。


チャンミセアドに食べて頂く。

私は訳が分からないまま、料理を運び、食べるチャンミセアドをお行儀良く、にこにこと見守る。
良い子ぶりっこだ。


Yさんは興奮し、こんな素晴らしい事はない!チャンミセアドに御布施出来ることは凄いことなんだ。貴方は来てすぐなのに、素晴らしい体験をしたのよ。

っと何度となく言ってくれたが、仏教も瞑想もよくわからない私には、なにも実感はなかった。

それよりも、チャンミセアドに出される食事の豪華さに驚いていた。

私達が作ったもの以外にも、キッチンレディーが作った料理もテーブルに並ぶ。ざっと10品はある。

テーブルいっぱいに料理が並ぶ。
それが一人分なのだ。
肉、魚も食べる。

なるほど。

お坊さんがまるまるとしているのが分かる気がした。

しかし、そのおかずの多さは、何も特別な事でなく、私も修行中は毎日凄い量のおかずを頂く事になる。

ちなみに、ここでの食事は全て寄付金でなりたっている。
食堂の黒板には、今日の食事を寄付してくださった方の名前が書いてある。

食事だけでない。センターの運営は全て寄付金で成り立っている。


仏教国、ミャンマーの底力を見た気がした。



さて、その日の夕方、私はヤンゴンで瞑想をしようと考えを変えていた。

それをセアドに伝えた。

セアド達は相談していた。そして、貴方にとっては森のセンターが良いはずだ。何故考えを改めたのか?っと問うてきた。

かくかくしかじか。理由を述べた。

なるほど、っと言いながらも釈然としない様子だった。

しかし、もう変更はできませんよ。

っと言って、受け入れてくれた。

その夜、ウスピタセアドと言う、チャンミセアドの次に偉いセアドに連れられて、チャンミセアドに瞑想のお許しを頂きに行った。

チャンミセアドは、自分は忙しく、直接指導出来ないが、頑張りなさい。っと言ってくださった。あとは世間話を少々。通訳を介して話すのでなかなか進まなかった。
ちなみに、チャンミセアドは世界中をまわっておられ、もちろん英語はペラペラ。英語が出来れば、直接会話する事が出来る。

チャンミセアドは、かっぷくが良く、まるまるとしていて、顔つきは非常に穏やかで、私が見ても、悟りの道の上の方にいらっしゃるのだと、一目で分かる。
仏教に無知すぎてお恥ずかしい限りだが、きっと素晴らしいセアドなんだろうなぁぁっと思った。

チャンミセアドと会ったのは、それが最後となった。

お会い出来ただけでもラッキーだったのかもしれない。

私はウスピタセアドの指導してもらいながら瞑想修行をする事になる。
このウスピタセアドについてはまたのちほど。


いよいよ明日から、瞑想が始まる事になった。


その前に、、瞑想するには白いブラウズとあずき色のロンジー、あずき色のタスキみたいなのが必要だ。それに、瞑想中は外に出れないので日用品も揃えないとならない。

っと言う訳で、夕方にセンターのスタッフの方々と近くの市場に買い物に行った。ロンジーやブラウズ、タスキは全てキッチンレディーが貸してくれたので、石鹸や歯ブラシやらを買いに行った。
小さな車に五人で乗り込んで、わいわいっと出掛けた。

連れて行ってくれた女性がブラウズをオーダーしたり、ミャンマー人の日常を垣間見る。

帰ってからは、夕食を食べさせてもらう。瞑想修行をしていないスタッフは、夕食を食べるのだ。
広〜いキッチンで、買い物に行ったみんなで同じおかずをつつく。おかわりは?もっと食べろっと気をつかってくれる。楽しかった。

この広〜いキッチンは沢山の人々の食事を作る所だ。つまり、チャンミセアド以外の、全ての人の食事を作る所だ。センターに住んでいる子供達、お坊さん、尼さん、スタッフ、瞑想修行者、合わせてざっと100人以上はいるだろう。

ここで毎日作られる10種類以上のおかずの数々は、本当に美味しかったものだ。


さて、何故私が森のセンターでなく、ヤンゴンで瞑想をしようと考えを変えたのかと言うと、
料理をしながらも、Yさんからヤンゴンで瞑想をするようにと、私は説得をされ続けていたのだ。

その理由は、ここで書くことは控えるが、色々とあるのだ。
瞑想センターは、心の平穏を望む人々が集まっている所だが、人間は人間なのだ。

色々なしがらみやトラブルがあるのだ。

どこに身を置いても、人々が本当の心の平穏を手に入れるのは難しいんだなぁ。
悩みはつきぬ。

人間だもの。


そんな瞑想の始まりだった。
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by atsuko-sunaoni | 2009-09-02 12:02 | ミャンマーでの出会い

ミャンマー記 ー バスに乗ってツー

夕日に照らされる、森の中。

っと言っても、なんだか殺風景で森と言うより、未開拓地と言った方がシックリくる。


その未開拓地の瞑想センターは、広々としていた。
瞑想室を取り囲む様に、修行者が宿泊する為の綺麗なバンガローが、気持ち良い感覚で建ちなんでいる。
それが、道をさはんで男性用、女性用と二つあるのだ。

いい所だなぁ~っと思った。

ヤンゴンに見学に行った際に対応してくれたお坊さんも、森の中のセンターは新しく、バンガローの中にトイレもシャワーも付いていてとても快適だと言っていた。

ちなみにヤンゴンの施設は、入口を入ってすぐに、二階建のミャンマー人用の瞑想室があり、狭い敷地の中に、所狭しとビルが建てられており、外国人様の宿泊施設は4階建てで,一階が女性の宿坊、二階が女性の瞑想室、三階が男性の瞑想室、四階が男性の宿坊、となっている。

出家したセアド(お坊さん)やセアリー(尼さん)も施設内で一緒に生活しているので、男女の区分けはきっちり行われている。
瞑想も食事も宿坊も、男女は絶対に一緒になってはならないのだ。

外国人用の宿坊は、ベッドが二つある個室が10部屋程あり、修行者が少なければ個室となる。

シャワーとトイレは各フロアに共同である。


これだけを比べても、未開拓の施設の方が数段快適である。


こっちで瞑想したいなぁっと思い、受け付けを探す事にした。

その前に、バスの運転手に帰りの時間を尋ねようと、キョロキョロしていたら、一人の女性に声をかけられた。

日本語だった。


バスに乗っていた女性の中に、私が見た目で判断して、二人ほど、日本人だと思われる女性がいた。

そのうちの一人の女性だった。


聞くと、やはり日本人で、チャンミ瞑想センターに来て1ヶ月が経っており、あと数ヶ月は瞑想センターに残って瞑想を続けるらしい。


瞑想中の彼女は本来、人と話してはいけないのだが、久々に日本人に会えて嬉しいらしく、怒涛の勢いで話し続けて、話しがつきなかった。面白い人と出会ったなぁっと思った。

私も彼女から瞑想センターや瞑想についての情報が沢山得られるので、ありがたかった。


その後、彼女と一緒に未開拓地センターで永らく瞑想修行をしていると言う日本人男性に話を聞きに行ったりした。

結局、彼女と喋り通して未開拓地センター(森の中のセンター)の見学は終わった。

彼女はヤンゴンで瞑想をしている。
明日、ヤンゴンのセンターに彼女の通訳さんが来るので、瞑想の相談をすると良いと言う。
そりゃありがたい。

っと言う事で、また翌日にヤンゴンのセンターに出向いて会う約束をした。


帰りのバスの中は、行き以上に賑やかだった。

行きのバスの中も、とても賑やかで、尼さんと言えど、女のコなんだなぁぁっと思ったのだが、帰りは仲良くなった事もあり、私も輪の中に入れてもらってはしゃいだ。


台湾や、インドネシア、韓国から来てる若い尼さん達、そしてミャンマーの人達とを乗せて、バスは賑やかにヤンゴンへと戻って行った。


巨大なパコダがライトアップされて、闇の中で眩しく輝いていた。
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by atsuko-sunaoni | 2009-08-26 21:28 | ミャンマーでの出会い

ミャンマー記 タナカ

ミャンマー記 ちょっと息抜き。

ミャンマー人は、タナカを愛用している。
ミャンマー女性のほとんどはタナカを使っているだろう。

使うのは女性だけだと聞いていたが、小さい子供から、たまに若い男性まで、幅広く使われているのを見た。

タナカ。

日本人の名前みたい。


タナカの正体は、化粧品です。
主な効用は日焼け止め。

タナカは木の粉です。

墨汁をする様に、水を少し挿して、スリスリと木を石でする。

そうして出来た物を、顔に塗る。腕にも塗っている人もいた。

ほっぺに丸く塗ったり、四角く塗ったり、人によって色々と個性がある。

小さい子供は、お母さんやお姉さん達の遊びの恰好の的らしく、遊び心たっぷりなデザインで塗られている。


インスタントタナカもある。

ファンデーションの様な形で売られている。それを水でのばして使う。


タナカを塗ると、見た目がどんな感じなのかと言うと、薄い茶色をした泥パックを塗った感じを想像すると分かりやすいかもしれない。

その泥パックをしたまま、外へ出るのがミャンマー流。


で、私もインスタントタナカを購入して試してみた。


まず、水でのばしているので保湿効果がある。日焼け止めとしても良い。塗っていると、涼しい感じすらする。

が、時間が経つと乾燥する。

そんな時には、ミャンマー人はタナカ直しをするのだろうか?


ロンジーを着て、タナカを塗って町を歩く。ちなみにロンジーは、ミャンマーでは毎日着ていた。

まずは、ホテルの従業員が私のタナカに喜んだ。

一緒だ一緒だ、と言う仕草をする。

うん。一緒だね。
っと私もハニカミながら答える。


町でも、すれ違いざまに皆が嬉しそうに笑ってくれる。

ロンジーを着る外国人は居ても、タナカを塗る外国人はあまり居ないのかもしれない。


それにしても、私はアジア各国でなりきりに成功していたのに、なんでミャンマーだけはダメだったのだろか?

すぐに外国人だとバレる。

ロンジーを綺麗に着こなせてなかったのだろうか?

それとも、平和ボケしたところを見抜かれていたのか。。

ミャンマー人の眼力は凄い。


ミャンマー人の身だしなみと言えば、ロンジー、タナカ、バック。

ミャンマー独特の、可愛い形をしたバックがあるのだが、名前は忘れてしまった。


今話題のエコで、超自然派化粧品であるタナカだが、日本にやって来る日は来ないだろうと思う。

見た目が泥パックだからね。


タナカさんが見つけのかな?
疑問がつきないタナカ。
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by atsuko-sunaoni | 2009-08-25 02:07 | ミャンマーでの出会い

ミャンマー記 瞑想センター見学 バスに乗って

翌日の昼過ぎ、インドカレー屋で、ネパールで食べて以来の久々のダルバートをたらふく食べ、満腹感と満足感に満たさていれた。

ダルバートの事を簡単に説明すると、わんこカレーである。そう、おかわりし放題。無くなりそうになると、すかさず店員がカレーやご飯などを持って来てついでくれるのだ。
肉はおかわり不可。でも野菜のタルカリ(惣菜)とダル(豆カレー)とご飯はいくらでもおかわり出来る、とても素晴らしシステムなのです。
ネパールにいた時には、山盛りご飯を二回はおかわりしていたものだ。

ミャンマーにはインド系ミャンマー人も目立つ。よって、食事もインド系のものがあるのだ。

食事を済まし、これから瞑想センターに見学に行くのだ。

地図で見ると、チャンミとマハシは同じ通りにあり、チャンミの方が手前にあるので、チャンミから見に行く事にした。チャンミは、ヤンゴンの他に、静かな森の中にもセンターを構えているらしかった。

ダウンタウンからタクシーで20分くらいで到着。タクシー料金は3ドル。高いのか安いのか分からない。


受け付けで、瞑想したい旨を告げた。

すると、受け付けの中年女性が何やら説明してくれるが、何が何だか分からない。

で、担当者を呼ぶから待っていろ っと言っているらしいので、指示された場所で待つ事数分。

あずき色の袈裟を来た40歳を過ぎたばかりくらいのお坊さんが現れた。

非常に英語が堪能なお坊さんで、英語が苦手な私にも分かりやすい英語で話してくれた。

瞑想したいこと、でもヤンゴン市内は騒がしくて嫌だと言うこと、を伝えた。


瞑想について色々と説明をしてくれた。瞑想期間は最低で10日間であると言うことや、瞑想の心得など。


そして、思い出した様に言った。
今日、森の中にあるセンターへみんなで行く予定になっている。バスを一台を出す予定だから、君も一緒に来て見学したらどうかな? っと言ってくれた。

バスはもちろん無料だし、帰りも一緒に乗れば良いとの事。

三時頃にバスは出るので、近くのお寺でも見て時間になったら戻って来なさいと言われた。


なんてラッキーな事だろう。もちろん一緒に行かせもらうことにした。


約束の時間までの一時間ちょっとは、散歩して潰した。

ダウンタウンから離れているこの辺りは、大通りはあるものの、そこそこ静かな上に、衛生面もさほど問題ない。

ヤンゴンも、ダウンタウンを外せばなかなか快適なのかも知れないなっと思った。

しかし、ホテルはダウンタウンに集中しているし、食事や情報収集をするのにも、ツーリストはダウンタウンに宿を取るのが便利だ。
と言っても、ツーリスト自体が非常に少なく、ダウンタウンで見かけたツーリストはヨーロッパ人数人だけだった。


約束の時間、チャンミに戻った。

中ではまだお経が読み(唄い?)あげられており、出発までまだ時間がかかると言われたので、木陰で待つ事にした。

私が暑そうにしていたら、隣に座っていたおじさんが何も言わずに、スッと、自分が使っていたウチワを私に差し出してくれた。
それは、ごく自然に、当たり前の事の様だった。


ミャンマーのお経は可愛いらしい。

みゃ~!みゃ~!みゃ~!

な~む な~む な~む…

これが私のお気に入りフレーズだ。
あとは何を言っているのかさっぱり聞き取れない。
唄い、語る様にお経を読む。非常に心地良い。瞑想期間は、夕方に読まれるこのお経を聞くのが毎日の楽しみだった。


午後4時もまわったころだったろうか。やっと出発となった。

バスは女性だらけだった。沢山の尼さんと、瞑想修行者と、少しのお坊さんと男性が乗った。
男と女が隣り合ない様に座っていた。
満員のバスが出発した。

通路を挟んで私の隣に座っていた40代くらいの女性が、バスの前方に向かって、ずっと手を合わせて、頭を下げていた。

後で知ったのだが、このバスの一番前に、チャンミセアドが乗っていたのだ。
つまり、チャンミメディテーションセンターのトップだ。
とても偉いセアド(お坊さん)だと言う事だった。

そんな事は知るはずもなく、私は遠足気分だった。
一時間半は走ったであろう、殺風景な森の中のセンターに到着した。


辺りは、夕日で赤く木々が色づいていた。
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by atsuko-sunaoni | 2009-08-24 00:45 | ミャンマーでの出会い

ミャンマー記 オーナー夫人と瞑想センター

ホコリだらけのヤンゴンのダウンタウン。その中心地にはパコダと呼ばれる、仏教の仏搭がある。

ダウンタウンだけじゃない。ヤンゴン市内にも無数のパコダがある。

そしてミャンマー全域にも数えきれないくらいにある。

ミャンマーは、敬虔な仏教国だ。


パコダの数には驚いた。

が、凄いのはパコダの数だけじゃない。

宿のオーナー夫人は、若くて、スッゴク綺麗。頭も良い。おまけに英語がペラペラ。

ミャンマーに到着して3日目の昼さがり、彼女に、チャンミメディテーションセンターと、マハシメディテーションセンターの場所を尋ねた。

この二つのセンターは、ミャンマーで瞑想した日本人が書いたホームページを、日本にいる友人が教えてくれて、そこで紹介されている6箇所くらいのセンターから、私が良さそう所を選んだものだ。


オーナー夫人は、私が瞑想しに行くと知ると目を輝かせた。

オーナー夫婦は、年に一度、夫婦揃って山奥にある瞑想センターに行くのだとか。

そこはPar Awakと言い、とても素晴らしから、時間があるなら是非行って欲しいと言って、そのセンターの紹介DVDまで見せてくれた。


が、瞑想は10日しか出来ず、そこへは行けないかも知れないと告げると、私がお願いした瞑想センターの住所を、タウンページみたいな本で調べ始めた。


そして、ヤンゴンだけで、こんなに瞑想センターがあるのよっとタウンページらしきものを見せてくれた。


そこには、瞑想センター というカテゴリーがあり、数えきれないくらいの名前が載っていた。


パコダも多いけど、瞑想センターも多いのだ。


外国人を受け入れてるセンターはそのごく一部で、瞑想センターはミャンマー人の為に存在しているのだ。


タクシー運転手は英語が通じない場合があるため、オーナー夫人は、私のノートに、チャンミ、マハシ、そしてAwakの住所と電話番号を、ミャンマーと英語でそれぞれに丁寧に書いてくれた。


その翌日、マハシとチャンミへ見学へ行こうと決めた。

二つを見て、良いと思った方にしよう思い、私は暑いダウンタウンへと散歩に繰り出した。
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by atsuko-sunaoni | 2009-08-22 16:35 | ミャンマーでの出会い

ミャンマー記 ゴミの中のダウンタウン

空港からチャータしたバンは、とあるゲストハウスの前に止まった。

そこがバンの運転手と契約してる宿なんだろう。

ガイドブックにも出てる所だし、とりあえず中を見せてもらう事にした。


部屋を見て、愕然とした。光の入らない、刑務所の部屋みたいだ。薄暗く、壁は汚れて、ベッドもなんだか寝たいとは思えない。

それで料金は13ドルくらいだった。

タイで、ネパールで、インドネシアで、マレーシアで、カンボジアで、それだけだしたらホットシャワーにクーラーもついてかなり快適な宿に泊まれる。

と、過去に行ったアジア各国と比較する。

と、そこに泊まるのは馬鹿馬鹿しくなるものである。

当然、その宿はパスである。

重たい荷物を背負い、宿を出る。


ここからが、第一の試練の始まりだった。

風がなく、でもホコリが舞い、排気ガスも充満する灼熱のダウンタウン。

車の上に、干からびたネズミの死体がある。

それだけで、私を凹ませるだけの要素が十分にあった。

そんな街中を、歩けど歩けど宿が見つからない。

街の人に声を掛けても、皆、中級ホテル以下の安宿など知っている気配もない。
客引きも居ない。。

どうなっているんだ、この街は。。暑さと空腹と不安に襲われながら、重たい荷物を背負いさまよい続けた。

しばらく歩いて、やっと客引きらしい男が現れた。


選択肢は無い。彼について行くのみだ。

幸運な事に、彼はちゃんとした客引きだった。

4件近く安宿を見せてくれた。

宿はいずれもビルの三階や四階部分にあり、荷物を背負い階段を昇るのが本当にきつかった。
しかも階段や踊り場は、信じ難いほどに汚い。汚物にまみれていた。


そんな思いをしてまで行く宿も、一軒目と同様に価格に納得がいかない。


最後の一軒を目指して階段を登っていたら、私の中で何かがキレた。

「もう無理!歩けない!」
と、誰にでもなく怒りを吐き出した。


最後の宿は、料金は12ドルと、今までで一番良心的だったので、もう動けなくなった私はその宿で手をうった。

結局、二時間くらいは宿を探して歩いたと思う。

部屋に入る。
まぁまぁ日当たりもある。

窓を開けると異臭がする。
窓の向こうは、おぞましいごみ溜めがあるのだ。

見ない。知らない。ごみ溜めなんてない。と言い聞かす。

シャワーを浴びる。お湯が出ない。

クーラを付ける。
動かない。

窓を開ける。
臭い。

踏んだり蹴ったりだ

ヤンゴンはここ数年、深刻な電力不足で、昼間のクソ暑い時に停電している。

かと言って外に出れば、排気ガスとホコリまみれで、瞬く間に疲れて、全身もホコリまみれだ。
ちなみに、洗濯すると水が真っ黒なる。
本当にキツイ。。


何故停電するのか?
聞いた話しでは、風水好きな大臣が居て、ヤンゴンは風水的に良くないと言う事で、首都を別の土地に移してしまった。
で、電力をそちらに持って行ってしまったので、ヤンゴンは停電になるのだとか。

もう、むちゃくちゃだ。


それでも何とか気を取り直して、街へ繰り出す。


ビルとビルの隙間には、どろどろに溶けて恐ろしい状態と化したごみ溜めがある。

街全体は、ホコリっぽく、建物も道路も茶色に見える。


車が沢山行き交い、人々は暑いと言うのに颯爽と歩いている。ミャンマー人は姿勢が良く、大股でさっさと歩く。

道はガタガタで、足元を見ていないと、今にも転びそうだ。

そんな路上は、庶民の生活の場だ。


ホコリだらけの路上には、夕方になると無数の屋台が出る。

小さい椅子と、小さい机が路にズラリと並ぶ。


食事はその土地の人々と同じ物を食べたい私は、もちろん、路上の店で食事をとる。

沢山のおかずが並ぶ。インドカレーみたいのから、野菜炒めや、魚や肉やら。

その中から好きなおかずを選び、ご飯は炒めたものか、白い飯か選べる。

味は。。

美味しい。

複雑な味が調和して、本当に美味しい。
何より、どこの店でも熱いお茶が飲み放題。

店はだいたい家族で営んでおり、接客は小さい子供が笑顔でこなす。

お茶が無くなれば、言わなくてもすぐに持って来てくれるし、何から何まで、気持ち良く食べられるように細部にまで気をつかってくれる。

どこの店でもそうだった。

ドーナツ屋では、ドーナツに付ける蜜を私が持てないので、食べる私の隣で、嬉しそうに蜜を持ち続けてくれた。


同じ物を食べる。
それは凄く大事な事で、そこから庶民の生活や人を垣間見る事が出来る。

ミャンマー程、それを感じた所はなかった。


ちなみに、他に路上で食事をとるツーリストを見た事は一度もなかった。

衛生面、健康面を考えると、それも正しい判断だと思う。

とにかく、汚いのだから。


何故、ミャンマーの宿代は高いのか?


後で知った事だが、宿代の半分は、税金として国に取られるのだそうです。


宿の人々は、チェックインの際に必ずパスポートをチェックする。台帳には、パスポート番号や期限など、細かい記入をさせられる。

みんな、ちゃんと税金納めてるんだな。

ミャンマー政府は、至る所でツーリストから税金を取ります。

当然だとも思うけど、それが軍事に使われちゃうのかな?

何だかなぁ。
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by atsuko-sunaoni | 2009-08-22 04:06 | ミャンマーでの出会い

ミャンマー記 入国

ミャンマーに入国するには、一つしか方法がない。

それは空路。

陸路は閉鎖されているのだ。

タイとミャンマーの国境の町、タチレイから陸路で行けると言う話もあるが、あの町はツーリストにとっては基本的にはタイからのVISAラン(VISA延長手続き)用にあるのだ。

タチレイからミャンマー国内に入るには、入国管理にパスポートを預けて、期限付き、かつまたタチレイに帰って来ないと行けないと聞いた。

しかし、ツーリストがパスポートを持たずにミャンマー国内を移動するのはまず不可能なので、やはり陸路は無いと思った方が良い。


貧乏旅行者の強い味方、エア・アジアでバンコク→ヤンゴン行きのチケットを取った。

価格は、確か90ドルくらいだった。


往復を買うか迷ったが、予定が未定だった為と、エアアジアはネットで簡単にチケットが購入出来る為、ミャンマーで買えば良いと言うことに納まり、片道だけ買った。

この片道切符が、最後の最後に私を苦しめる事になるのだった。


早朝、カオサン発のエアポートバスに乗って、朝7時頃の便でヤンゴンに向かった。
フライト時間は一時間もなかった様に思う。


飛行機から降りて、まず驚いた。

飛行機から、空港へと私達を運んでくれるバスが、日本の路線バスのお古だったからだ。

行き先の表示から、外装内装も全部元のままで、降りる時の押しボタンもそのまま。全てが日本語表示。

まさかまさか、こんな所で故郷日本に会えるとは。

空港から、こんな感じなのである。

ミャンマーで走っていたバスの99%くらいが日本のお古だった。私の実家の辺りのバスも、ミャンマーで走っているのを目撃した。とにかく、日本全国で廃棄となったバスがミャンマーで大事に使われていた。

行き先に、「吉祥寺」とか書いてあるから面白い。


空港の建物は、最近建てられたらしく、どうもバンコクの空港を意識した近代的な建物だった。

ミャンマーで見た、近代的で綺麗な建物は、後にも先にも、この空港だけだった。

入国審査管は、意外な事に女性ばかりで、荷物チェックもなく、いとも簡単に終わった。


空港のロビーには、浅黒い肌の色をし、やや堀が深い顔立ちの、ロンジーと呼ばれる巻スカートを身にまとった、ミャンマー人男性達が待ち構えていた。


ミャンマー人は、男も女も、老いも若きも、みんなロンジーをまとっている。
伝統衣裳が、過去の物ではなく、現役で庶民に愛されている。


飛行機が一緒だった日本人と、バンを一台チャーターして、ヤンゴン市内に向かった。料金は6ドルだったかな。


そのタクシー運転手は良く喋る人で、ミャンマーでは車が凄く高いと言うことなどを話してくれた。
自分がガイドするので、明日も明後日もこの車をチャータしろという。
料金が一人40ドル?とか高額な事を言うので、全くその気にはなれなかった。

ある公園の近くを通ってるときに、「あっちがアウンサンスーチーの家だ。」と言った様に聞こえた。

すかさず、「どこ?彼女は毎週スピーチしてるんでしょ?聞きに行きたい!」と言ったが、英語が通じなかったのか、話しを反らさたのか、この事への返答はなかった。


アウンサン・ス―チー
この名前をミャンマーで聞いたのは、これが最初で最後だった。


混迷するビルマに咲き続ける、強く美しい花。
アウンサンス―チーさん。

ミャンマーに行ってみて、少しだけど国内を見せてもらって、この国を救いたい、変えたい、と思った彼女の気持ちが分かった。
ゴミだらけ、混乱だらけのミャンマーで、彼女は美しく、強くあり続けている。
凄い事だと思った。

ミャンマーと言う国名は、軍事政権が勝手につけた名前だそうです。

だから、本当はビルマなんだ。

ミャンマーと呼ぶか、ビルマと呼ぶかで、どっちを支援するかが分かるらしい。
私はビルマと呼びたいけど、あまり混乱しないように、ミャンマーにしようと思う。

政治が混迷するミャンマーにおいて、政治的な発言をする事はもっての他らしい。ガイドブックによれば、街角で政治について尋ねようものなら、大変な騒ぎになるとのこと。

だから、彼女の名前を口することも出来ないのだと思う。


車は30分くらい走り続けて、ヤンゴンのダウンタウンへと向かって行った。
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by atsuko-sunaoni | 2009-08-21 16:58 | ミャンマーでの出会い

ミャンマー記 VISA申請

ミャンマーに入国するのにはVISAが必要である。

面白いのが、瞑想VISAがあると言う事。
通常、観光VISAは1ヶ月で、原則では延長は出来ない。

が、瞑想VISAは、瞑想期間中なら、何年でも滞在が許される。瞑想VISA発行には、受け入れ先の瞑想センターの発行してくれる書類が必要らしい。

実際、瞑想センターで会った日本人男性は、もう7年も瞑想でミャンマーに居るのだと言っていた。

そう、それくらい、ミャンマーでは瞑想が日常的に存在するのです。


で、そんなVISAの存在を知ったのはミャンマーに入国した後。私が申請したVISAはもちろん観光VISAだった。

数年前に、ヤンゴンで日本人ジャーナリストが射殺されて以来、日本人のVISAの申請は少し面倒なものに変わったらしい。

職歴などを申請しないとならない。

そんな事なので、旅行会社が代行申請などは出来なくなり、本人がミャンマー大使館へ出向かないとならない。
それでも、日本でとるより、タイでとった方がずっと楽だと言う事だった。


申請の為に、早朝に起きてカオサンから、バンコク市内にあるミャンマー領事館に向かった。
何故なら、一日の受付人数が決まっており、早く行かないと締め切ってしまうというのだ。


が、現地に到着すると、誰一人並んじゃいない。。。
結局、2時間ほど領事館の門外で待ち、集まった申請者は10人ほどしかいなかった。

後から聞いた話では、数年前からミャンマーの情勢が悪化してる関係で、旅行者も激減したとか。

で、書類を記入して、窓口に提出。
「何をしに行くの?どこへ行くの?」と受付の女性に聞かれる。

「瞑想に行きます。」

っと言うと、話が早かった。受付の女性は何だか嬉しそうにまた言った。
「どこで瞑想するの?」


「ヤンゴンのチャンミメディテーションセンターです。」

っと返した。

受付の女性は
「私、そこ知ってるわ。」と嬉しそうにうなづき、そして、さっくりと書類を通してくれた。


VISAはしあさってに取りに来てねとの事だった。
ガイドブックには即日発行可能とあったが、今は廃止されたと言われた。


そんなミャンマー領事館で、15年ぶりに会った人がいた。
私が中学校一年生の時の担任の男性教諭だった。


一目で彼だと気づいて、声をかけた。
先生は私を思い出せなかった(笑)

昔からアジア好きだった彼は、教職を退き、数年前からミャンマーのお寺で日本語を教えていると言う。ボランティアで。


キラキラした眼差しで、「ミャンマーに行ったらお寺をまわってみて下さい。子供達がいて、日本語を教えあげると喜ぶから」 と。


先生が、やりたい事出来てて、何だか嬉しかった。


さて、タイのバンコクにあるミャンマー領事館ですが、バンコクにあるとは思えぬボロさ。

トイレの便器は壊れ、薄暗く汚い感じ。

そう、ここからすでにミャンマーが始まっていたのです。
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by atsuko-sunaoni | 2009-08-21 12:44 | ミャンマーでの出会い

ミャンマー記 動機

写真を保存していたiPodが壊れて、ミャンマー、カンボジア、ペナン、タイ、っとまだバックアップをとっていなかった写真が消えた。

まだ少しの望みはあるものの、気持ちはやっと諦めがついてきた。

中でも、ミャンマーの写真は、深い入れがある。ミャンマーから戻ってしばらくは、過酷だった旅を思い出すのも嫌で、写真を見返す事もなかった。

しばらくたって、旅が良い思い出になった頃に写真を見返したら、ミャンマーの素朴で優しい美しさに胸が踊った。

凄い国だ!っと思った。

その直後、iPodが壊れた。。。

旅から戻ってはや3ヶ月もたつのに、未だバックアップをとっていなかった自分が悪いのだが、あまりにも悲し過ぎて、昨日はとうとう夢で、iPodが直った夢を見た。でも現実は壊れたままだった。


そんなこんなで、ミャンマーへの思いがつのり、写真がダメなら文章で残そう!!っと思いたった次第。


ミャンマーに行こうと思ったのは、瞑想がしてみたかったからである。
タイに入ってから、アレルギーが急激に悪化してどうしようもなくなり、こりゃ、私の心を鍛えないと治らん!っと思ったから。

何故ミャンマーまで行く必要があったのかと言うと、私がやりたかったヴィパッサナー瞑想の事を調べていたら、こんな事が分かった。

仏陀が最後に悟りを開いた方法だと言われるヴパッサナー瞑想は、古くは仏教国全体にあったものの衰退して無くなり、ミャンマーでのみ、その瞑想が受け継がれている。っと。

で、今全世界に普及しているヴパッサナー瞑想は、とあるヨーロッパ人がミャンマーを訪れたさいに発見し、普及活動をしたとかなんとか。

ほぅ、では、瞑想するならミャンマーね。っと単純な私はミャンマー行きわ決めた。その時はタイにいたので、ミャンマーはご近所さんだった事もあり、行く事にした。

しかし、調べても調べてもミャンマーの情報は非常に少なく、バンコクで何とかガイドブックを入手出来たの留まり、そのガイドブックも、現地ではほとんど役に立つ事がなかった。
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by atsuko-sunaoni | 2009-08-21 12:10 | ミャンマーでの出会い

時のひと

ミャンマーから戻りました。
今は、タイのチェンマイに来ています。

ミャンマーは凄い国でした。

色んな意味で、今まで行った国のなかで、一番衝撃的だった。

こまったのが、ATMがない。だからお金は現金を持っていかないといけないのですが、
正規レートなんて、あって無い様なもので、一番換金率が良いと言うのが
町にある金(Gold)屋さん。 つまり、相手の言い値でしかマネーチェンジが出来ない。。。
そのレートも、1ドル950といわれたり、1050だったりと、本当に場所によってまちまち。

で、私は米ドルを持っていったのですが、綺麗な米ドル札以外はどこも受け取ってくれない!!
これがまた苦労する、、、。そんなこと、知ってたら綺麗なのそろえて来てたのに。。。。
っと受け取ってもらえない度に愚痴る。

で、クレジットカードだってもちろん使えない。
そんなわけで、現金が底を付いた私は、帰りのエアチケットが買えない事態に陥る。
で、ネットで取ろうとするも、くしくも、その日は翌日の軍事パレードの混乱を避けるために、
国によって全土の通信回線が切られたと言う、そんな日だった・・・。
そこで、申し訳ないとは思ったが、タイのゆかこさんに電話をして、
タイからエアアジアのチケットを取ってもらった。
が、翌日空港に行けば、「あなたの名前が名簿にない」と案の状言われたものの、
確認がとれ、無事に乗れました。
あわや、出国できずに大使館にお金を借りに行く寸前でした。
ゆかこさん、本当にありがとうございました。

で。。ネット自体も、速度が恐ろしく遅い上に、日本のサイトは規制がかけられている。
メールを見ることも一苦労。。。。

で、、、親に連絡を出来ないこと2週間。

心配した両親が、捜査願いを出そうとしていたらしい。。。。
それを、これまたタイのゆかこさんが、大使館に確認してからにしては。。。っと
ナイスアドバイスをしてくれたので、捜査願いを出される寸前で、それは阻止されました。。。
なぜだか、父が捜査願いをどこに出せば良いのか、ゆかこさんに相談の電話を入れたらしい。

危なかった。。

危うく、「行方不明の日本人女性」 と言うことで、時の人となるところでした。

ミャンマーについては、色んな事を書きたいのだけど、、ああ、時間がない・・。


とにかく、ツーリストは非常に少ない。
少ない理由は、旅をしているうちに、だんだんと身を持って分かるようになりました。。。
過酷です。。。。国内移動は、安いのでバスを利用するのですが、これが非常に過酷です。
15時間~20時間はバスに乗りっぱなし。
休憩は5時間に1回。バスはきゅうきゅうで、なかなか体も動かせなかったりする。
そのくせ、ツーリストだからと、バス代はミャンマー人の何倍も取られる。。
大体、15ドルくらいですが、ミャンマーの相場からしたら高すぎる。
私はこれで、人生初の膀胱炎になり、タイに戻って来た当日にバンコクホスピタルに駆け込んだのでした。

これで学んだこと。。ミャンマーの移動は、飛行機か、バス代はケチらず、いいバスに乗る!!!

そして、宿代が高い。。。。
高い理由をホテル側に問いただすと、ツーリストは政府に税金を払わなければならず、
これは税込みの値段だと言う。
一体、税金は何パーセントなんだ・・・・。
そんなわけで、安宿でも一人6ドルはしました。
ミャンマーは、一部屋いくらではなくて、ひとりいくら なのです。。。

移動費と、宿代が節約できず、思ったより旅の予算の減りが早かったのと、
バス移動の疲れ、そして、なにより、背筋が凍り付くような不衛生な町中に耐えられず、
一番行きたかったバガンには行かずに、帰って参りました。

ヤンゴンのダウンタウンの不衛生さと言ったら、、、下水道の中に町があるのじゃないか・・・?
っと思えるほどで、アレルギー体質の私は、ヤンゴンに2日も居れば、全身に酷い炎症が起きたくらいでした。


っと、嫌な事ばかり書きましたが、ミャンマー人は、他のどの国の人より、暖かかった。
一番の楽しい思い出は、電車に乗って、チャイテーヨーと言う、落ちそうで落ちない岩を見に行った時。
約10時間(本当は5時間だけど、降りすごし終点まで行ってしまい、翌日また電車で戻った)の電車の旅は本当に楽しかった。
乗ってるのはみんなミャンマー人。電車が揺れるたびに、みんなで顔を見合わせて笑ったり、驚いたり、
飴をくれたり、降りる駅を間違えそうになると、みんなでフォローしてくれたり。
本当に楽しい時間だった。

電車の旅は、揺れが酷いので止めた方がいいと、数人のミャンマー人に言われていましたが、
バスと違ってトイレ付きだし、アットホームだし、私は断然電車の旅がお勧めだと思いました。

瞑想については、私は駄目生徒でした(笑
瞑想では、考え事を止めなければいけないのですが、その考え事が楽しくてたまらなくなり、
考え事の静止を放棄し、考え事に更け居ると言う、なんともお粗末な事態に。。(笑
でもその考え事も、瞑想中の異様に神経が研ぎ澄まされた状態で出てきた考えや発想だったりしたので、
私としては、凄い発見をしたし、すばらしい事だったと思っています。
瞑想としては失敗しましたが、瞑想したから凄い発見をした!!っと思っている今日このごろ。
で、瞑想の仕方は分かったので、これからは時間があれば、自分でも瞑想を出来たらいいなっと思っています。(と思い続けて3週間、一度もやっていない)
瞑想事態は、とてもシンプルのものなので、どこでも出来るし、やはり、瞑想をすこしでもすると、心と体に落ち着きが生まれ、いい効果が出ることも今回分かったので、また機会があればやってみたいとも思います。
が、、、まだしばらくはやりたくない。。。。

瞑想センターを出る日、お坊さんからは、「瞑想は何年やっても簡単にはマスターできるものではない。また来てください。」と言われた。 
このウスピタセヤド(セヤドはお坊さん)をはじめ、一緒に瞑想をしたミャンマー人の方々など、
本当に皆さんに良くしていただきました。
特に、通常は外国人専用道場で瞑想しなければならなかったのに、特別にミャンマー人用の道場で
私は瞑想をさせてもらいました。その際、いつもいつも、何も言わずに私の世話をしてくれて、私が鼻をすすっていれば、いつの間にか私の席にティッシュが置かれていたり、飴がおかれていたり、蚊帳を用意していてくれたりしたおばさまには、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
最後、私がセンターを去るときも、わざわざ出てきてくれて、飴と自分の名前の書いた紙を渡してくれて、
笑顔で見送ってくれました。。。

また、行きたいな。。。。


ミャンマーは、国の混乱が、そのまま町や人々に反映されている印象でした。
凄まじく汚い町に、綺麗に洗濯された服を着て、姿勢良く歩く人々。。
テレビや町中の看板は、先進国を意識した最新の情報であるのに、実際には、
いまだに牛が荷車を引いて、水牛と人間が共同でが農作業して、とのどかな風景がたんたんと続く。

首都でさえATMも、クレジットカードも存在しない。ネットもままならない。ごみの処理もされていない。
現代とも、過去とも言い難い、不思議な様子。

バスや電車の車窓からミャンマーの生活をのぞきみて、
タイムカプセルみたいな国だなっと何度か感じました。
50年、100年くらいまえの生活が、まだ永遠と引き継がれている。
ジャングルの中に、突然町が現れたり、森だと思っていたら、その中に村があったり。
と思ったら、現代的なものが突如現れたり。
最後まで、この国はなんなんだ??っと言う疑問が取れなった。

きっとそれは、ミャンマーの人も感じているのだろうか。。。

とても不安定な国なんだな。。。っと言うのが、最後の最後に思ったことでした。

ミャンマー人は、とても頭が良く、心優しく、非常に優れている人が多いと私は感じました。
彼らの能力をもっと生かして、もう少しちゃんとした生活が出来る日がいつか来てくれると良いなっと思います。このままで居てほしいと、言うには、あまりに不安定すぎて、発展途上国に来て初めて、
「変わってほしい」と思った国でありました。


っと、思ったままをつらつらと、1か月分書いてみました。
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by atsuko-sunaoni | 2009-03-31 01:44 | ミャンマーでの出会い