山あり谷あり

今だから言える事が誰にでもあると思う。


私にも例外なく、それがある。


それは、重度のアトピーと、それにまつわる人間の色々な事。


13歳から26歳位までの間、私は家の外に一歩でるのに大変な勇気と決心が必要だった。私は生まれつきアトピーでそれが、思春期あたりから重症となっていた。
この数年で、何故かアトピーは一気に改善しつつあるので、つい数年前まで重度だったと言っても、皆はあまりピンと来ないようだ。



朝おきて、体じゅうの痒みと格闘しながら、鏡に映る真っ赤に腫れあがった顔や体をみて、外に行きたくないと、鏡の中の自分を見て、毎朝泣き崩た。
それでも働かないと生きて行けないから、勇気を振り絞って外に出る。


外では、そんな自分を誰にも知られたくなくて、いつも明るく振る舞い、必死に笑っていた。


そして、家に帰ってまた泣いて、泣きつかれたところでやっと我に帰って、生活をこなす。


長い長いトンネルを、出口が見えないまま、でも必死に手を尽くして歩いていた。



なかでも、最も辛かった時期が数年間ある。
中学校2年生にあがった頃、母の意向で薬を一切やめる事になった。


薬を絶った私の体は、壮絶な痒みを伴いながら、みるみる腫れ上がり、そして皮膚は裂け、血とドロドロの液体が体中からにじみ出た。

髪の毛や眉毛はかきむしる為に抜けおち、例えるなら、皮膚は被爆した人の様な状態になった。

痒みで寝る事は出来ず、やっと寝れたと思えば、毎回恐ろしい夢を見る。

朝、目が覚めるのが本当に嫌だった。
また辛い1日が始まるのだから。
起きた瞬間から、壮絶な痒みと、自分の身に起きた現実と向き合わなきゃならなかった。
多感な時期に、それはそれは、とても現実は受け入れ難く、辛いものだった。

毎日、起きて一番にするのは、血と体液で体にべったりと貼り付いたシャツを、体から剥がす事だった。


毎日毎日、何時間も泣いた。


何で死ねないのか、どうやったら死ねるのかを毎日考えていた。いっその事、死んだ方が今よりずっと楽だと真剣に感じていた。


学校には行けなくなり、半年学校を休んだ。


半年後、ちっとも症状は変わらなかったが、学校に行くように促されて、行った。


以前とは全く変わってしまった私の姿は、好奇の目にさらされ、たちまち、かわいそうな人 となった。

どこへ行っても、好奇の目にさらされ、人にじろじろ見られ、屈辱感でいっぱいだった。


そのうち、学校でいじめにあう様になった。


家では、現実の余りにもの辛さから暴れる私と、両親との間で毎日殴り合いのケンカが行われた。


毎晩怒鳴り声がする私の家は、近所から白い目で見られる様になった。


その事を家族から責められた。


中学生だった私は、人生のどん底にいた。味方なんて誰も居ないと思えた。
けど私はラッキーで、私を理解し手を差しのべてくれる人がいた。


2年間くらいはそんな状態が続いた。

中学、高校と一番多感な時期を、顔を隠し、強烈な劣等感と、惨めさと、怨み、怒り、悲しみが支配する感情の中で人に心を許せず、生き続けた。



あれから15年以上経った今、あれがあって良かった と心から思える様になった。


あの時できた家族との溝はまだまだ埋まらないし、出来る限りの手を尽くしてきたアトピーもまだまだ治らない。
でも何故か、私の心だけが、癒えてきた。


あの体験より辛い事を、未だに経験した事がない。


あの体験があったから、人の痛みを分かる事が 今出来ているのだと思う。


さて、私のアトピーが急激に改善した時期と、私が旅に出る事を決意した時期は、ぴったり重なる。


こころのままに、自分に素直になる事が、万病の薬なのかも知れない。


もっともっと自分に正直に生きたいな。


人生、山あり谷あり。
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by atsuko-sunaoni | 2010-01-31 03:43 | 奄美大島での出会い
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