ミャンマー記 入国

ミャンマーに入国するには、一つしか方法がない。

それは空路。

陸路は閉鎖されているのだ。

タイとミャンマーの国境の町、タチレイから陸路で行けると言う話もあるが、あの町はツーリストにとっては基本的にはタイからのVISAラン(VISA延長手続き)用にあるのだ。

タチレイからミャンマー国内に入るには、入国管理にパスポートを預けて、期限付き、かつまたタチレイに帰って来ないと行けないと聞いた。

しかし、ツーリストがパスポートを持たずにミャンマー国内を移動するのはまず不可能なので、やはり陸路は無いと思った方が良い。


貧乏旅行者の強い味方、エア・アジアでバンコク→ヤンゴン行きのチケットを取った。

価格は、確か90ドルくらいだった。


往復を買うか迷ったが、予定が未定だった為と、エアアジアはネットで簡単にチケットが購入出来る為、ミャンマーで買えば良いと言うことに納まり、片道だけ買った。

この片道切符が、最後の最後に私を苦しめる事になるのだった。


早朝、カオサン発のエアポートバスに乗って、朝7時頃の便でヤンゴンに向かった。
フライト時間は一時間もなかった様に思う。


飛行機から降りて、まず驚いた。

飛行機から、空港へと私達を運んでくれるバスが、日本の路線バスのお古だったからだ。

行き先の表示から、外装内装も全部元のままで、降りる時の押しボタンもそのまま。全てが日本語表示。

まさかまさか、こんな所で故郷日本に会えるとは。

空港から、こんな感じなのである。

ミャンマーで走っていたバスの99%くらいが日本のお古だった。私の実家の辺りのバスも、ミャンマーで走っているのを目撃した。とにかく、日本全国で廃棄となったバスがミャンマーで大事に使われていた。

行き先に、「吉祥寺」とか書いてあるから面白い。


空港の建物は、最近建てられたらしく、どうもバンコクの空港を意識した近代的な建物だった。

ミャンマーで見た、近代的で綺麗な建物は、後にも先にも、この空港だけだった。

入国審査管は、意外な事に女性ばかりで、荷物チェックもなく、いとも簡単に終わった。


空港のロビーには、浅黒い肌の色をし、やや堀が深い顔立ちの、ロンジーと呼ばれる巻スカートを身にまとった、ミャンマー人男性達が待ち構えていた。


ミャンマー人は、男も女も、老いも若きも、みんなロンジーをまとっている。
伝統衣裳が、過去の物ではなく、現役で庶民に愛されている。


飛行機が一緒だった日本人と、バンを一台チャーターして、ヤンゴン市内に向かった。料金は6ドルだったかな。


そのタクシー運転手は良く喋る人で、ミャンマーでは車が凄く高いと言うことなどを話してくれた。
自分がガイドするので、明日も明後日もこの車をチャータしろという。
料金が一人40ドル?とか高額な事を言うので、全くその気にはなれなかった。

ある公園の近くを通ってるときに、「あっちがアウンサンスーチーの家だ。」と言った様に聞こえた。

すかさず、「どこ?彼女は毎週スピーチしてるんでしょ?聞きに行きたい!」と言ったが、英語が通じなかったのか、話しを反らさたのか、この事への返答はなかった。


アウンサン・ス―チー
この名前をミャンマーで聞いたのは、これが最初で最後だった。


混迷するビルマに咲き続ける、強く美しい花。
アウンサンス―チーさん。

ミャンマーに行ってみて、少しだけど国内を見せてもらって、この国を救いたい、変えたい、と思った彼女の気持ちが分かった。
ゴミだらけ、混乱だらけのミャンマーで、彼女は美しく、強くあり続けている。
凄い事だと思った。

ミャンマーと言う国名は、軍事政権が勝手につけた名前だそうです。

だから、本当はビルマなんだ。

ミャンマーと呼ぶか、ビルマと呼ぶかで、どっちを支援するかが分かるらしい。
私はビルマと呼びたいけど、あまり混乱しないように、ミャンマーにしようと思う。

政治が混迷するミャンマーにおいて、政治的な発言をする事はもっての他らしい。ガイドブックによれば、街角で政治について尋ねようものなら、大変な騒ぎになるとのこと。

だから、彼女の名前を口することも出来ないのだと思う。


車は30分くらい走り続けて、ヤンゴンのダウンタウンへと向かって行った。
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by atsuko-sunaoni | 2009-08-21 16:58 | ミャンマーでの出会い
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